山崎まさやす物語

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幼少期

昭和46年3月高知市で3人きょうだいの長男として生まれた。
母方の実家が営む天ぷら屋で働く父はいっごうそう(気骨物)で厳しくも温かく、母はおおらかで社交的な人柄。『人に迷惑を掛けたらいかん』とよく言われて育てられた。

「縄跳び3000回」

妹や弟と違って足が遅く、野球も下手だった。そこで父から、縄跳びを毎日3000回跳ぶように言われ、小学3年生から6年生まで続けた。その成果で、握力が70㎏近くになり、後々の野球人生に生かされた。

中学・
高校時代

「憧れの先生」

厳しくも優しい中学の先生に憧れ、教員を志す。『お前らが中学校をよくするんだ!』と熱く語ってくれたことが心に残った。

「リーダーシップ」

高校2年生で生徒会長になり、登校時のマフラー着用を学校に認めてもらうなど、校内の環境整備に務めた。

大学生時代

下宿先は6畳1間のアパート。社会科の教員をめざして勉学に励み、家庭教師やスポーツ指導員などのアルバイトもした。

「七転び八起き」

大学で教職課程に進むも、4年間で単位が取れず、卒業後に聴講生として働きながら残りの単位を取得。高知県に戻り、中学校で社会科の講師をしながら教員採用試験に挑戦。当時の募集倍率100倍の中、5年がかりで合格を勝ち取った。

「野球一筋」

小学2年生から始めた野球は大学まで続けた。ポジションはピッチャーで、急速はMAX138km/h。伸びのあるストレートが”武器”だった。打撃でも主軸を務め、中学時代には四国大会に出場。高校時代には県ベスト4まで勝ち上がった。大学時代にはプロ注目選手が多数在籍する中、努力を重ね、3年生の時に試合に出場した。

教員時代

「個性を伸ばす教育」

どんな状況でも生徒に寄り添い、良いところを褒めて肯定することで、その生徒の個性を伸ばす教育を心掛けた。

「野球部の監督」

初めて赴任した中学校の野球部は、公式戦で1度も勝ったことがないチームだったが、選手一人一人の長所を生かす練習メニューや指導方法を考え、約4カ月で準優勝に導いた。中学野球の県選抜チームのピッチングコーチも務めた。

「臨床心理学」

生徒指導やカウンセリングを通じて対人関係で悩む生徒が多いことを感じ、生徒への理解がさらに必要だと痛感。発達障がいや、心の問題で悩んでいる生徒に適切な対応をするため専門知識を深めようと決意し、37歳から2年間、鳴門教育大学大学院で臨床心理学を学ぶ。

「教頭」

県教育委員会で5年間勤務した後、当時最年少44歳で教頭に。悩んでいる生徒の中へ飛び込み、信頼を築くとともに、教員への指導にも尽力した。

県議時代

平成31年4月に高知県議会議員に初当選。以来、『子ども一人一人の生き抜く力を育み、個性を輝かせる教育再生』をめざした。初質問では、利用者の要望を受け『心の教育センター』の休日開所を訴えが実現し、令和2年4月から日曜日も利用できるようになった。